TRUMPシリーズ「マリーゴールド」

娘のガーベラと共に、マリーゴールドの花に囲まれた屋敷で暮らす小説家のアナベルは、ある理由から周囲との関係を遮断していた。アナベルと交流があるのは、担当編集者であるコリウス東啓介)や、妹のエリカ(愛加あゆ)、幼なじみであり娘の主治医でもあるヘンルーダ吉野圭吾)といった限られた人物だけ。そこに、アナベルの熱狂的なファンであるソフィ(三津谷亮)と彼の親友ウル(土屋神葉)の2人が、アナベルに会うためにやって来て……。

 

すごくネタバレしています。 

 

9月8日ソワレ。チケット難の中、貴重なチケットを譲って頂きありがたく観てきた。観劇前にDVDで「TRUMP」「LILIUM」「グランギニョル」を予習。

とにかく絶望の海に浸され、絶望にたたきのめされる覚悟で劇場に向かう。こんなにも心づもりをしてまで観たいなんて自分はなんてドMなのか、と少々自分の性癖にたじろいだ。まあ別世界設定がしっかりあって自分に火の粉が飛んでこない不幸を観たいというのは、超わがままだけどたぶん自分の中にある欲なのだろう。(言語化するとなんて非道な・・・)

劇場に入ると、マリーゴールドが咲き乱れる舞台、細かい照明に期待が高まる。(マリーゴールド一本一本がバカでかくてインパクトが大きいというか、怖い)

今回はミュージカルということで、場面ごとにまとまりというか、まとめのようなものがあってすごく見やすかった。(普段よくミュージカルを見るので、それもあるかな)

特に花言葉を紹介するコーナーはこの間宝塚花組でみた「BG」の一場面そのままで既視感がめちゃくちゃあった(末満さんも宝塚観た?)

詳しい友人からは「舞台に転がりながら登場する人がたいがい火元になる」といわれていたのでそれを頭に置いて観ていた。

案の定転がりながら登場した人は火元だった。というか、「LILIUM」観てるから、ある程度最後は予感していた。

位置づけ的に「不死のバンプとなったソフィのある日のできごと☆」という感じ。内容は☆なんて可愛いものじゃなかったけど。

だからかな、身構えて観たからかもしれないけど、思ったほどの衝撃はなかった、ただ観劇中、観劇後ボディーブローのようにじわじわ効いてきた。

前半の台詞から「TRUMP」から2800年経っていることがわかって、ソフィが登場した瞬間、「あ!この人2800年生きてきたんだねー、大変な人だわー」 となぜか強く彼に同情した。あのテンションで2800年生きるのはきつい。

それにしても舞台上の世界観に文明が進んだ印象を受けなかった。「TRUMP」の世界では時間は直線的に進むのではなく、円を描きながら回っているのかあと意味不明に納得したけど。というのも、ヴァンプと人間の関係とか、ダンピールの扱いとかが全然進歩も後退もしていないし、TRUMPによって支配されているヴァンプ世界があまりにも閉鎖的で行き詰まり感たっぷりだったから。もはや不幸の堂々巡りだね。

あくまで末満さんが創作した設定なんだけど、「現代社会で言えば、これじゃない?」と思うモチーフがいくつか思い浮かんできた。

たとえば。ダンピールが短命だということに対して、ヘンルーダー(だったかな)が「たとえ短命でも、生きている間幸せだったと思っていたらそれでいい」的なことをいうんだけど、ふと出生前診断の是非を思って辛かった。

 

その他いくつか印象的だったこと。

①「ヤン・フラ」という名前

「フラ家の人なの!?」何がどうなってキキちゃんとつながって2800年後の世界にも血が続いているの!?どういうこと?と大パニック!!フラ家とつながりがあるとしたらどうやって?(また不幸の匂いがする。)

 

②ダリデリコという伝説のヴァンプがいた設定

ダリちゃんが伝説のヴァンプなのはわかるけど、「伝説になる」ということはデリコ家は絶えてしまったの?それとも人間界の情報とヴァンプ世界の情報に隔たりがあるの?

 

③デリコ家とフラ家

「我は守護者なり」って大人たちが歌っている場面は「グランギニョル」のダリとゲルハルトを思い出した。ガーベラがフラ家の血を引いている(?)とすればペンネームとはいえ、ある意味デリコ家とフラ家の血を引く子という設定だなあと。ダリを守護するゲルハルトを思い出した。そういう思い出し、つながりというか「絆し」を随所に感じ、興奮しつつ、胸が痛んだ。 

 

④ソフィが星に手を伸ばすこと

「TRUMP」を思い出して「あ”ーーーーー」と声にならない声が頭に響き渡った。ソフィは2800年経っても星に手を伸ばし、手に入れられないんだなと。それを与えられるクラウスを探しているんだなと。

この春宝塚歌劇で見た「ポーの一族」のエドガーとソフィが重なった。彼は人間からヴァンパイアになってしまったから全然違うのだけど、彼が劇中に「人に生まれて人ではなくなり愛の在処を見失った」と歌う。そのフレーズがよぎった。エドガーにはかりそめでも家族がいて、愛する妹がいた、そしてアランがいたからソフィのような孤独はないけれどね。

 

 物語の終盤、アナベルがソフィに「あの子に永遠の命を!」とすがり、ガーベラが「永遠なんてくそくらえ!」とわめくのを観ながら、母の愛の強さと怖さを見た。

登場人物全員が(ソフィも含めて)誰かを愛し、愛されたいと願っているけど、誰一人としてこの願いを叶えられた人はいない。

特にアナベルは登場するほぼすべての人から愛され、みんな彼女に愛されたいと願った。全方向からの飢餓的な愛の欲求。見ていて苦しい、あんなに皆から求められるのに、それに答えたはずのヘンルーダへの愛の結果は本当に残酷。

その後、再びアナベルが愛を与えたいと思って行う、ガーベラへの愛は「永遠を与えること」でも、ガーベラは全く望んでいないんだよね。(登場人物すべての愛の矢印はねじれの関係で交わらないし、かなわない)

 

そして、この親子がソフィの地雷踏みすぎてて辛くなった。結末を知っているが故の観客の苦しみ。アナベルの望みもわかるけど、観客はソフィの側からのみられるからね。

ソフィが混乱して「Truth(真実)」じゃない「False(にせもの)」だと叫ぶのを観て、ここからファルスが誕生したのかな?と思った。

そして、2800年経ってもソフィは精神的に成長していないように思えて、成長しないのに、経験だけ積んでいくことになった結果があのクランの形になるのかとソフィに対する哀しさがあふれてきた。2800年間ウルごっこをし続けているのね。

そして今回なにより私が震えたのが、ソフィがアナベルを噛んだことにより、アナベルが後天的ヴァンプになったこと。(救いなさ過ぎでしょ)

アナベル(人間)はヘンルーダ(ヴァンプ)との間に子(ダンピール)をもうけ、それにより、彼女の世界はがらっと変わった。彼女と周囲を苦しめ、修復不能で悲劇的な最後を迎えることになった。それなのに、最後の最後、彼女を苦しめた問題は解決できるものであったと分かる。(ごく希に起こる後天的ヴァンプになれる人物だった、すなわち、ヘンルーダとの関係は絶対に解決不可能なものではなく、解決可能なことであったのに、それに気づいた時には解決不可能な状態が広がっている。解決方法が一か八かすぎて試せないものではあったけど。)

筏に乗って濁流に流され、滝壺に落ちる瞬間、筏なのにジェットエンジンがついていることに気づくけど、つけたところで反対に勢いよく滝壺に落ちるだけの状態。使うタイミングを誤らなければ、救いになり得たけど、ジェットエンジンがどっちに向けて発射するか分からないから、押せない的な。

何書いているのか、分からなくなってきたけど、とりあえず震撼した。

 しかもそのタイミングでソフィにイニシアティブを握られたのが、不幸中の不幸。絶望ってこんな風にタイミングが重なって起こるものなんだなと「絶望」の発生にまで思いをはせてしまった。そりゃこうなるわ、って展開が分かっていながらことが震え続けた。

救いがないと思いながら、 「LILIUM」でのマリーゴールドを思い出し、彼女には愛された過去があったのだなとしみじみ。

 

「TRUM」シリーズが進むにつれ、どうしようもない絶望が覆ってきているけど、ここまで観たら、完結まで観たいという気持ち。誰も悪いことしてやろうと思っていないのに、(クラウスやソフィ、ダミアンたちの行動も含めて)みんなの行動をあわせると悲劇にしか到達しないのが、きついけど。どうか完結する日を観られますように。

 

役者さんそれぞれについて

 

アナベル壮一帆さん)

 

宝塚のトップスターさんだったころから、何度か拝見していた。退団されてからも観たことがあり、わざわざ観に行っているわけではないのに縁があるなあと。

相変わらずの気品のある美貌でアナベルにぴったり。役柄の持つ、気高く意志の強い性格を相まって近寄りがたいほど。アナベルの笑顔は、回想シーンでのヘンルーダに妊娠を告げるシーンだけ。意図した演出だろうけど、きつい。(これまで観たのも「男装の麗人」と「不幸な花魁」でいつも薄幸そうな役)

彼女自身が持つ陽性のオーラをびしびし感じられる作品に出て欲しいなあと思いながらあの美貌を生かすのはやっぱり不幸な役なのかなとも思う。

 宝塚の頃は歌うまいと感じたことはなかったけど(歌ダンスというより芝居巧者のイメージでした)うまくなってるのかな?あまりわからなかった。一緒にいった友人は歌がうまかった!と言っていたのでそうなのかもしれない。圧倒的うまさではないけど、ミュージカルらしく感情を感じるものでした。

 

ガーベラ(田村芽生さん)

上手!歌ももちろん、お芝居もすごく目を惹く。まだ19歳を聞いてびっくり!繭期の彼女しか観たことないのは辛い。とりあえず 繭期を超えてもっといろんな舞台で観たい!

レミゼ」のエポニーヌとか!「モーツァルト」のコンスタンスとか!いや直近でいえば「ロミジュリ」のジュリエットでもいい!とりあえず繭期卒業させてあげたい。

 

エリカ(愛加あゆさん)

宝塚のころから結構好きだった人。安定感のあるお芝居と歌、ダンスと何をしても期待値以上を出してくれる退団されてから観るのは生で観るのは二回目かな。歌がすごくうまくなっているというか、聴かせ方、見せ方が娘役から一皮抜けて素敵でした。美しさにも磨きがかかった印象。壮さんと二人で歌ってる場面は二人とも宝塚の頃とは関係が変わったせいか凄くかっこよかった。こんな風に二人を観られるとは!

エリカという役柄自体はとらえにくく、難しいなと。姉への愛情と姉が愛するガーベラへの思い、ヘンルーダへの思いは一筋縄ではいかない。姉を喪った悲しみやいらだちだけだと、嫌な女感が出てしまうけど、可哀想な人でもあった。ヴァンプに翻弄された人間。(不可侵条約は必要だわ)

 

コリウス東啓介さん)

スタイル良すぎて混乱。歌も普通にうまいし、この人どこから来た人なのかなと思ってたら、テニミュ出身者だった。しかもテニミュで観たことあったし。痩せていて分からなかったのかな?ということにしておく。

コリウスは冷静に考えるとアナベルへの思いが強すぎてヤバめな人間だけど、ヘンルーダの行動と対比や、東さんご本人の演じ方や生来の雰囲気からヤバさは緩和されていた。というか、人間ではないのではないのかもしれないと思ったりもした。

 

ヘンルーダ(吉野圭吾さん)

久しぶりに吉野さんを観られて嬉しい!観るたびに私結構ファンだわ!と思う。でもわざわざ彼目当てでは観に行かず、行った舞台に彼がいたらラッキーくらいなのでファンを名乗るのはおこがましい。でも吉野さんが全力のエネルギーで舞台に立っちゃったら、他の役者とバランスがとれないでしょ!と心配するくらいには好き!

実際冒頭のダンスではだれよりもキレがあった。実年齢とのギャップ!

役柄にはもう怒りしかなかった、怒りを超えて呆れかな・・・

ソフィのクランを脱走して、逃げ延びるヤンと、大人になってからのヘンルーダに共通点がないなと思ってたけど、違うわ。アナベルたちを守るために街に放火しちゃってるし。やっていいことと悪いことの倫理観ないやつだわ。

それになにより、なんでアナベルを妊娠させてるの!!君、分かってる?君がこの件にかんしてだけ言えば、主犯ですよね!人間のアナベル、エリカの世界に踏み込んで、彼女たちを巻き込んだ。

「愛さずにはいられなかった!」と言ってたけど、冷静に聞くと「言い訳が過ぎる・・・」主語がないので、誰を愛したのか微妙に濁されているけど。

振り返ってみると「TRUMP」シリーズの事件の発端はまあTRUMPなんだけど、一つ一つの原因は身勝手な男の行動とその結果が生み出していることが多いよね。

ダンピールに対してそんなに差別意識があるんだったら、避妊して!って心底思った。(そんなこと言ったら元も子もないのは分かっているけど)

男は弱くて、女は強くたくましいっていうのがこのシリーズの男女観で、脚本家さんの性意識なのかなとふと思ったのでした。男性脚本家には多いのかな?

 

なんだかんだ思ったけど、次回作も楽しみです。

 

ところで、「TRUMP」シリーズを観ると毎回恩田陸さんの小説を思い出すのですが、そんなことありますか?マリーゴールドに囲まれた屋敷という設定の小説もあった気がする。その結末はマリーゴールドの匂いを死臭を消すために使っていたというものだったので、話の展開は全然違うけどね。